大阪高等裁判所 昭和61年(う)757号 判決 1990年6月19日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における訴訟費用中証人申英子、同梶原達観に支給した分は、被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人松下宜且、同菅充行、同原田紀敏、同熊野勝之及び被告人各作成の控訴趣意書記載のとおりであり(弁護人松下宜且作成の控訴趣意書は、訂正申立書を含み、被告人作成の控訴趣意書は、昭和六二年五月三〇日受付の訳文を含む。)、これに対する答弁は、大阪高等検察庁検察官事務取扱検事藤村輝子作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。
そこで、以下検討を加えることとするが、被告人の控訴趣意は、原判決の不当である理由をるる述べているのみで、その法律上の趣意は必ずしも明確ではないところ、弁護人らの控訴趣意とほぼ同旨と解されるので、これとまとめて判断することとし、他方、各弁護人の控訴趣意も種々錯綜、重複しているので、以下次のとおり整理、要約して判断を加えることとする。
第一 控訴趣意中法令適用の誤りの主張について
一 論旨は要するに、原判決は、被告人の原判示所為につき昭和五七年法律第七五号による改正前の外国人登録法(以下、外国人登録法を単に「外登法」という。)一八条一項八号、一四条一項を適用しているが、同条項は、憲法一三条、一四条、一九条、二〇条、三一条、八一条、市民的及び政治的権利に関する国際規約(昭和五四年八月四日条約第七号、以下「国際人権規約B規約」という。)七条、二六条に違反し無効であるから、これを有効であると判断した原判決には、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令適用の誤りがある、というのである。
その論拠として挙げる点は、次のとおりである。
1 憲法一三条、国際人権規約B規約七条違反(松下、菅第一、第二、熊野第一、七、第二-以下弁護人の控訴趣意書の項目をこのように付記する。)
(一) 指紋をとられない権利
(1) 指紋をとられない権利は、憲法一三条によって保障された個人の私生活上の自由ないしプライバシー権に属するのであるが、指紋押なつによる屈辱感、不快感は、犯罪を犯したわけでもないのに犯罪者のように扱われるから不愉快だというような程度のものではない。
(2) 指紋をとられない権利の本質の一つは、個人の人身及び精神が国家権力の支配、管理、介入から最大限自由でありうる権利であり、近代民主主義社会の最も基本的な属性である。指紋は、市民が日常生活であちこちに残しているものであるから、これを国家が採取し分析すれば、市民の生活は、対国家権力の関係で素通しのガラス張りになってしまう。指紋による高度に秘密性の高い自己情報を国家に提出し、国家がこれを取得、保有、利用することは、個人の人身及び精神活動に対する国家の支配、管理、介入の強化に外ならず、指紋をとられない権利は、国家と個人との厳しい対立局面に位置するものであり、経済的自由権などとは異なる、人身の不可侵にかかる人権、及び精神的自由権に属するものである。
(3) 以上によると、指紋押なつ制度が憲法に適合するか否かを検討するにあたっては、いわゆる「厳格な基準」によるべきである。そして厳格な基準とは、第一に、目的審査として、<1>立法の背後に存する真の狙いも含めて立法目的が何であるか、<2>その目的が正当であるのみならず、目的の価値がやむにやまれない程の実現の必要ある利益といえるかについての審査をなし、第二に、手段審査として、<1>立法目的にとって、採用された手段が適合的といえるか否か、<2>より制限的でない他の選び得る手段が存在するか否かの検討を含み当該手段がどの程度の人権侵害的作用を及ぼしているかについての審査をなすべきである。
(二) 指紋押なつ制度の目的の不当性
(1) 外登法なかんずく指紋押なつ制度の立法目的の正当性を判断するにあたっては、法律上表明された目的が正当であるかを審査すれば足りるものではなく、法律の背後にある真の狙いを審査しなければならない。原判決は、外登法一条に表明された目的の正当性を審査しているにすぎず、「公共の福祉」に名を借りて「公共の安寧・秩序」を優先させたものである。
(2) 敗戦から外登法制定に至るまでの経過を考察すると、第一に、外登法自体住民基本台帳法におけるような行政目的を有するものではなく、在日韓国・朝鮮人に対する治安目的のために制定されたものであり、その中核を担うのが指紋押なつ制度であることが明らかとなり、第二に、外登法、とりわけ指紋押なつ制度の狙いが、さらに少数民族としての在日韓国・朝鮮人の侵すべからざる内的精神活動の自由を奪い、民族性を抹殺する同化支配政策を貫徹する点に存在することが判明する。
(3) このことは、市区町村の窓口等において指紋による同一人性の確認が現実にはほとんど行われていないことからも明らかであり、したがって、指紋押なつ制度の立法目的は正当なものとはいえない。
(三) 指紋押なつ制度の手段の不当性
(1) 仮に、外登法の立法目的が、同法一条のとおり「外国人の居住関係及び身分関係を明確ならしめ、もって在留外国人の公正な管理に資する」ものとして正当であるとしても、同法は同一人性の絶対的確実性まで厳しく要求したものとは解し得ず、現に採取された指紋は一つ一つ照合されているわけではないから、指紋押なつ制度は手段としての適合性に欠ける。
(2) 指紋押なつが及ぼす人権侵害の程度は、前(一)(2)で述べたとおり大きいものであるうえ、とりわけ在日韓国・朝鮮人に対しては、日本政府の同化支配政策による同化のインパクトの影響のもとで、自己らのマイナスイメージを決定的なものにし、いわば同化にとどめを刺し、アイデンティティの形成障害、アイデンティティ拡散症候群その他より重い精神障害を惹起するものであり、原判決のいうような「不快感」に止まるものではないから、指紋押なつ制度は手段としての相当性に欠ける。
(3) また、外登法一条に掲げる目的のために指紋制度を存置する必要性はきわめて希薄であるから、その意味からも相当性がない。原判決は、指紋押なつ制度が不正行為に対する抑止的作用を果たしていると判断しているが、本当に抑止的作用があるのか不明であるばかりでなく、仮に抑止効果があるとしても、それはとるに足りないものでしかなく、約七〇万人にも及ぶ外国人に対し指紋を押なつさせるとすれば相当性を欠くことは明らかである。なお、仮に指紋押なつ制度に幾分かの必要性が存するとしても、外国人登録対象者の約九〇パーセントを占める定住外国人に指紋押なつを義務づけることは明らかに不相当である。さらに、原判決は、「外国人について個人の識別を誤れば、……場合によっては直ちに国際上の問題を生じかねず」というが、これはまったく根拠のない論である。
(4) 仮に、指紋押なつ制度が外登法制定当時は必要性があったとしても、戦後四〇年を経過した今日の社会状況においてはその必要性は消滅している。また、近い将来に予定されている外登法の改正では、指紋採取を当初の一回限りにしてしまうのであるから、新旧指紋の照合により同一人性を確認し人物の入れ替わりを防止するという立法目的は達成し得なくなるのであるが、それでも外国人の管理に支障がないということは、指紋制度の必要性がないことを政府も自認していることを示すものである。
(四) 国際人権規約
国際人権規約B規約七条は「何人も品位を傷つける取扱いを受けない」と定めているところ、少なくとも在日韓国・朝鮮人に対する指紋押なつの強制は、指紋押なつが強制される状況、及び指紋押なつ制度と不可分一体の関係にある外国人登録証の常時携帯・提示義務との相乗効果により、在日韓国・朝鮮人の「品位を傷つける取扱い」となっている。
(五) まとめ
以上指紋をとられない権利の性質、指紋押なつ制度の目的及び手段の不当性によると、指紋押なつ制度は憲法一三条に違反して無効なものであり、また、国際人権規約B規約七条にいう「品位を傷つける取扱い」に該当することは明らかである。
2 憲法一四条、国際人権規約B規約二六条違反(松下、菅第三)
(一) 憲法上の基本的人権の保障は原則として外国人にも及ぶものであるから、たとえ外国人が日本国民との間で国家に対する立場を異にするところがあっても、合理的な理由なく差別取扱いをすることは許されない。
(二) 原判決は、これに対し、外国人の同一人性確認は日本国民以上に正確でなければならないとか、外国人個人の識別を誤ると国際問題が発生するなどと、根拠のない理由を述べるのみである。そもそも外国人から指紋を採取するのは、外国人が日本人ほど土地に密着しておらず、滞在期間も短く、人的関係や係累も少ないことなどから、外国人の特定、同一人性の確認が曖昧で不確かなものとなりがちであるため、指紋によってカバーしようということであったはずであるが、定住外国人の場合は日本人と同等に居住関係・身分関係が明確であり、個人の特定、同一人性の確認のために日本人の場合と異なる制度(指紋)を用いる必要性はない。
(三) 指紋押なつ制度は、現実には指紋照合が行われていないなど同一人性確認にとって必要性のきわめて乏しい制度であり、合理的必要性もないのに外国人に対して不利益を課すものであるから、憲法一四条及び国際人権規約B規約二六条に違反する。とりわけ定住外国人の場合にはその不合理性は顕著であり、右条項に違反することは明らかである。
3 憲法一九条違反(松下、菅第一、原田第三)
(一) 指紋をとられない権利は、憲法一九条に保障された思想・良心の自由に属する権利であるところ、指紋押なつ制度が同条に適合するか否かを検討するに当たっては、同法一三条の場合と同様、違憲審査基準としていわゆる「厳格な基準」を採用すべきである。
(二) とすると、指紋押なつ制度は、前1で述べたとおり、目的及び手段が不当であるのみならず、在日韓国・朝鮮人の民族的属性、なかんずく民族としての誇り、思想、信条を抹殺しようとする同化支配政策の一翼を担うものとして存在し機能しているから、憲法一九条に違反し無効なものであることは明らかである。
4 憲法三一条違反(松下、熊野第三)
(一) 憲法三一条は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命もしくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」と定めているところ、ここでいう法律とは手続法ばかりでなく実体法も含み、適正な、正義に適っているものであることが必要であるところ、正義の基本要素の一つは、「各人に彼のものを」、すなわち、「彼から奪ったものがあれば、まずそれを返す」ことが前提とされる。
(二) 日本が一九一〇年のいわゆる韓国併合以来韓国・朝鮮から奪った人命・時間・山河・伝統・文化は測りしれないものがあるから、日本と韓国・朝鮮間の正義は、奪ったものを返すということを抜きにしては成り立たない。日本政府は、朝鮮人がかつて享受していた外国人扱いされない利益さえもサンフランシスコ講和条約により奪ってしまったのであるが、奪ったものを返さないでおきながら、韓国・朝鮮人を外国人扱いし、指紋押なつを強制することは正義に反するものであり、指紋押なつ制度は憲法三一条に反する。
5 憲法二〇条違反(熊野第四)
(一) 仮に指紋押なつ制度が合憲であるとしても、被告人の行為は宣教師として、同化に苦しむ在日韓国・朝鮮人の、特に少年少女たちの「魂への配慮」としてなされたものであって、目的において正当である。また、その手段は、同化の圧力の中で決定的な役割を果たす指紋の押なつを拒否することによって、その問題性を明らかにしようとしたものであり、自己の良心に従った市民的不服従の一形態であって、相当性の範囲内にある。そして、指紋押なつを拒否したことによって被告人の同一人性の確認に支障を生じたような事実は一切なく、法益侵害は皆無である。
(二) 原判決は、「被告人のいうところの目的を達するには、言論等の合法的手段」があるというが、合法的手段により目的を達することができなかったのは公知の事実である。したがって、被告人の原判示所為は、憲法二〇条の趣旨に照らし、正当な行為といわなければならない。
二 当裁判所の判断
そこで、所論にかんがみ記録を調査し当審における事実取調べの結果を併せて検討するに、いわゆる指紋押なつ制度を定めた外登法一八条一項八号、一四条一項は、所論が掲げる憲法及び国際人権規約B規約の各条項に違反しないというべきであり、原判決が右外登法の条項を被告人の原判示所為に適用したのは正当であって、所論がいうような法令適用の誤りは認められない。この点に関し、原判決が「弁護人らの主張に対する判断」の項で、所論とほぼ同旨の主張に対し詳細に説示するところは十分首肯できるのであるが、さらに所論にかんがみ付説することとする。
1 指紋及び指紋押なつの特質、外登法の指紋押なつ制度
(一) 指紋は、通常外部に表れている指先の紋様であり、それ自体でその個人の私生活のあり方や人格、思想、信条等が明らかになるものではなく、右紋様以上の情報的価値を有するものでもなく、高度の秘密性を有するものともいえない。
(二) ただ、指紋は万人不同、終生不変の性質を有するため、個人を識別するうえにおいて最も確実な手段である。したがって、指紋を媒介として継続的な同一人性の確認が可能となり、個人を追跡する機能をもち、行動調査に利用されるなどプライバシー侵害の危険性がある。とりわけ指紋には物体遺留性があるためその危険性は大きいが、遺留指紋を採取するのに人手や手間がかかるうえ、本件で問題となる一指の指紋ではその機能は限定的である。さらに、指紋は、簡便さには欠けるものの分類することが可能であり(換値分類)、それを索引として個人情報を管理することが可能となってくる(もっとも、その情報を収集管理するシステムが必要なことはいうまでもない。)。
(三) 指紋の押なつは、その行為自体をとってみれば、それほど過重な負担を強いるものではなく、肉体的苦痛も伴わない。しかし、以上のような指紋の特質に照らすと、指紋は、それ自体重要な価値を有し、それを押なつするかどうかは本来各個人の自由な意思に委ねられるべきものであり、国家権力を含む他の機関が正当な理由がないのにみだりに押なつを強制することは許されない。
また、前記指紋の有する特性により、指紋が従来犯罪捜査に使われてきたことから、指紋の押なつを強制されると、犯罪者扱いされたような心理的不快感ないし抵抗感を抱く者が多いことは容易に推察されるところである。しかし、その一方、わが国では日常生活において印鑑代用として拇印が使われていることも事実であり、かかる犯罪と関係のないところで行われている指紋押なつの慣行の存在は、指紋押なつに心理的抵抗の少ない一事例ということができる(もちろん拇印は外登法上の指紋押なつとは目的を異にするものではあるが、本人であることを誓約することと、場合によってはその指紋が同一人性の確認に使われうることにおいては同一である。)。さらに、指紋を押なつする場合に抱く右のような不快感等も、押なつを要求される指紋の程度やその場の状況等によって千差万別であり、一概に決し得ないこともいうまでもない。
(四) 所論は、指紋による高度に秘密性の高い自己情報を国家が取得等することは、個人の人身及び精神活動に対する国家の支配介入の強化にほかならないと主張するが(前記一1(一)(2))、前(二)で述べたとおり、指紋は個人情報収集の手段となることはありうるとしても、それ自体情報的価値があるものではなく、別に情報を収集管理するシステムが必要であり、正当な行政目的の範囲を超え個人の精神活動等に関し国家に秘匿されるべき情報は、場合によっては立法等により保護されるべきであるから、前記指紋の特質にかんがみても指紋の価値を過大評価するのは相当でない。
また、所論は、指紋は、市民が日常生活であちこちに残しているものであるから、これを国家が採取し分析すれば、市民の生活は、対国家権力の関係で素通しのガラス張りになってしまうというが、いくら指紋に物体遺留性があるとしても、指紋を採取することにより市民の行動の多くが判るものではなく、その採取には人手や手間がかかり、とりわけ一指の指紋では機能に限界があることは前記のとおりであるから、所論の表現は過大といわなければならない。
(五) 本件当時施行されていた外登法は、その一四条において、本邦に一年以上在留する一四歳(昭和五七年法律第七五号による改正後の現行法では一六歳)以上の外国人は、新規登録(三条一項)、登録証明書の引替交付(六条一項)、再交付(七条一項)、確認(いわゆる切替交付、一一条一項)の申請をする場合には、登録原票、登録証明書及び指紋原紙二葉(現行法では一葉)に指紋を押なつしなければならないと定めたうえ、右義務の違反につき、一年以下の懲役若しくは禁錮又は三万円(現行法では二〇万円)以下の罰金に処せられ、懲役又は禁錮及び罰金を併科されることがある(一八条一項八号、二項)旨の処罰規定が設けられていた。押なつすべき指紋は一指(原則として左手示指)の回転指紋(現行法では平面指紋)である(外国人登録法の指紋に関する政令昭和三〇年政令第二六号二条、四条)。なお、当審係属中になされた同法の改正により、現在では引替交付、再交付、確認(切替交付)を申請する際は、原則として指紋押なつ義務がなくなったことは、後述するとおりである。
2 憲法一三条、国際人権規約B規約七条違反の主張について
(一) 憲法一三条は、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しているところ、これは、国民の私生活上の自由が、国家権力の行使に対しても保護されるべきことを規定しているものということができる(最高裁判所昭和四四年一二月二四日大法廷判決・刑集二三巻一二号一六二五頁)。そして、指紋の有する前記のような特質に照らすと、国民は、個人の私生活上の自由の一つとして、その承諾なしにみだりに指紋押なつを強制されない自由を有するものであり、これをプライバシーの権利と称するかどうかはともかく、国家権力が、正当な理由もないのに、指紋の押なつを強制することは、憲法一三条の趣旨に反し許されないといわなければならない。
そして、憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきである(最高裁判所昭和五三年一〇月四日大法廷判決・民集三二巻七号一二二三頁)から、憲法一三条によるみだりに指紋押なつを強制されない自由は、わが国に在留する外国人に対しても、等しく保障されていると解すべきである。
(二) しかしながら、個人の有する右自由も、国家権力の行使から無制限に保護されるわけではなく、公共の福祉のため制限される場合があることは憲法一三条の規定に照らし明らかである。問題は、その制約の基準であるが、前記1で詳述した指紋及び指紋押なつの特質にかんがみると、現行法上の指紋押なつ制度が正当な行政目的を達成するため必要かつ合理的な制度であるかどうか、及びその規制が目的のため相当な範囲内にあるかどうかを審査すれば足り、それがいずれも積極に解される場合には、正当な公共の福祉による制約として、憲法一三条に適合するというべきである。指紋押なつ制度の合憲性の審査基準として所論がいう「厳格な基準」によるべきであるとする主張は、前示したところに反する限度で採用することができない。
(三) 外登法及び指紋押なつ制度の目的の正当性
(1) 現在の世界は、多数の主権国家から成立している。そうすると、いかなる国家においても、その国に一定の条件で在留する外国人に対し、出入国管理行政その他各種の行政を適正に執行するため、その前提として、国内にいる外国人を公正に管理しその居住関係など在留の実態を正確に把握する必要のあることはいうまでもない。わが国における外登法(昭和二七年法律第一二五号)は、その規定を通覧してみても、外国人登録に関する手続や登録証明書の交付の手続などを定めており、個々については本件の指紋押なつ制度や登録証明書の携帯義務など異論がありうるとしても、全体として右目的のために制定されたものというべく、もとよりその目的は正当である。同法一条は、その立法目的を明らかにした規定であり、そのとおり解釈すべきである。同法の定める外国人登録制度は、国側の行政上の必要ばかりでなく、外国人本人にとっても、就職、商取引、運転免許取得その他の場合において、自らの身分関係を証明する手段として広く利用されており、重要な機能を果している。そして、近時国際交流が盛んになるにつれ、ますます正確な在留外国人の実態を把握する必要性が増してきているとともに、外国人登録制度が、在留外国人に対する国民年金、生活保護、児童手当等各種社会保障制度の基礎資料などにも広く活用されてきていることは、外国人登録制度そのものの重要性が減少していない証左といわなければならない。
(2) 所論は、外登法の立法目的の正当性を判断するにあたっては、法律の背後にある真の狙いを審査しなければならず、真実は、同法は在日韓国・朝鮮人に対する治安目的のために制定されたものであり、韓国・朝鮮人の民族性を抹殺する同化支配政策を貫徹する点にその狙いがあると主張する。
ところで、所論がいう「同化」とは、例えば、原審証人梶原達観の証言によれば、「優勢な力を持つ集団側の価値や文化を、劣勢な力を持つ側の集団が生活規範とする」ことをいい、所論がいう同化支配政策の実態は、梶村秀樹作成の鑑定書によれば、「韓国・朝鮮人の内面からの民族的価値の抹殺とそれに代わる日本的価値の注入に至る過程」を指すものとされているのであるが、被告人及び弁護人は、原審以来、日本政府が第二次世界大戦前から現在に至るまでかような同化支配政策をとっていること及び外登法なかんずく指紋押なつ制度が右のような同化支配政策に基づくものであることに主張立証の力点を置き、本件控訴趣意書においても、多くの紙数を割いてこの点を主張し、被告人の控訴趣意書に至っては、本件訴訟においては、かかる同化支配政策が日本国憲法及び国際人権規約に違反していないかどうかにつき明言し、同化支配政策に判決を下すべきであるとまで主張している。
しかしながら、本件は、あくまでも、被告人において外登法で定められた指紋押なつを拒否したことが同法に違反するものとして公訴を提起された刑事事件であり、同法所定の指紋押なつ制度の憲法及び国際人権規約適合性が直接の争点となっているのに過ぎないのであるから、所論がいうような日本政府の同化支配政策が過去に存在し、あるいは現在も存在するかどうかについては争点となるいわれはなく、これを認定する必要がないことはいうまでもない。ただ、同化支配政策の内容が前記のとおりであるならば、これは日本国憲法の人権尊重主義あるいは国際協調主義に悖るものというべきであり、日本政府がこの政策を貫徹することを目的として外登法ないし指紋押なつ制度を制定したという事情があるならば、立法目的の正当性を判断する要素として重視すべきであるから、その範囲において判断する必要は存するのである。
そこで、この観点に沿って外登法の立法目的を考えるに、たしかに、外登法制定当時、在留外国人のうち韓国・朝鮮人がおよそ九〇パーセントを占めていたため、日本政府では、韓国・朝鮮人に対する施策が在留外国人行政の多くの部分を占め、これに重視していたことは推知できる。しかし、同法の内容は前記のとおりであり、すべての在留外国人に等しく適用され、全体として特段不当な治安目的のための規定がみられないばかりでなく、終戦後制定された外国人登録令が日本の独立に伴い、外国人登録法として、平和条約が発効した昭和二七年四月二八日公布されたという立法経過、現実の外登法の運用状況も、韓国・朝鮮人だけ別異の取り扱いがされている形跡がみられないこと等の諸事情からすれば、外登法が日本政府の韓国・朝鮮人に対する同化支配政策を貫徹する目的のもとで制定されたとか、韓国・朝鮮人に対する不当な治安目的のもとで制定されたとかの見解は、採用できないといわなければならない。
(3) 次に、外登法中の特に指紋押なつ制度にしぼってその立法目的を考えると、前記のとおり在留外国人の居住関係や身分関係など在留の実態を正確に把握するためには、個人を正確に特定したうえで登録し、現に在留している外国人と登録上の外国人との同一人性を確認できるようになっていることが必要であるが、個人を識別するにおいて最も確実な手段であるという指紋の有する特質からすれば、指紋はその目的に適うものであり、外登法の指紋押なつ制度の目的もまた正当というべきである。
所論は、指紋押なつ制度もまた在日韓国・朝鮮人に対する治安目的のために制定されたものであり、同化支配政策を貫徹する点に狙いがあるというが、同制度も、本邦に在留するすべての外国人を対象とするものであり、在日韓国・朝鮮人を特別の対象とし、不当な治安目的あるいは同化支配政策を貫徹する目的のもとで立法された形跡はないのであり、同主張も採用することができない。所論のとおりであるならば、指紋押なつ制度が実施されて以来、同制度が現在一〇数パーセントを占める他の国籍を有する在留外国人、ことに所論も同化支配政策の対象とは考えていないであろう欧米各国の国籍を有する在留外国人に対しても等しく適用されていることについて、どのように説明するのか困難である。
後記のとおり、外登法の前身である外国人登録令は指紋押なつ制度を採用していなかったところ、不正登録や不正使用が多発したためこれらの事態を防止する目的で外登法制定にあたり指紋押なつ制度が導入された経過が認められるのであって、この立法者の意思は尊重されるべきであり、指紋押なつ制度の目的自体の正当性は否定できない。さらに、現実の法務省等における登録指紋の運用についても、一般刑事事件の捜査のための指紋の照会には応じず、密入国事犯、外国人登録証明書の不正入手事犯等において、外国人の同一人性を確認し身分事項を確定するため特に必要とする場合にのみ応じており、外登法所定の立法目的に沿って運用されていることも、指紋押なつ制度が不当な治安目的等の目的を有していないことを示すということができる。
(四) 指紋押なつ制度の必要性、合理性
(1) 現在の国際関係のもとでは、在留外国人の居住関係や身分関係など在留の実態を正確に把握する必要があること、及びそのためには外国人の個別的同一性を誤ってはならず、これを確認する方法を確保することが必要であることは既に述べたとおりである。本来外国人は、居住関係や身分関係が多かれ少なかれ日本人ほど明確あるいは安定しているものではなく、それであるのに氏名、生年月日等につき戸籍簿などの形で公証する記録がわが国に確保されていない。したがって、右の確認の手段として、外国人について個人識別に優れている指紋押なつ制度を採用することは、その内容が相当性の範囲内にある限り、十分合理的なものということができる。定住外国人についても同様に解されることは、後記3(三)で述べるとおりである。
(2) 所論は、<1>外登法は同一人性の絶対的確実性まで要求していない、<2>採取された指紋は一つ一つ照合されていない、<3>指紋押なつ制度に不正行為に対する抑止的作用はない、などと主張する。
しかしながら、右<1>については、外登法の目的を達成するために、外国人の同一人性につきかなり高度の確実性が要求されることは前記のところから明らかであるばかりでなく、どの程度の確実性を目指すかは、移り変わる国際関係を考慮して、その内容が相当性の範囲内にある限り、立法府がその裁量で決すべき事柄と解すべきであるから、右主張は採用しない。
次に<2>については、たしかに、原審で取り調べられた各証拠によると、本件当時市区町村の担当窓口で登録証明書の確認(切替交付)などを行う際、同一人性の確認にあたって、新たな指紋と登録原票等に押されている従前の指紋との照合を行っていない例が多かったこと、及び、法務省では、昭和四五年に指紋の換値分類が中止されて以来、市区町村の担当者を含めて指紋について専門的知識経験を備えている者がほとんどいないことなどの各事実が認められる。しかし、一方、各証拠によると、鮮明に押なつされた数個の指紋を比較対照してその異同を一応識別するには、必ずしも専門的な技術は必要でないこと、具体的にどの程度効果が上がっていたかはともかく、法務省は市区町村の係員に対し指紋による同一人性の確認を励行するよう指導していたことが認められ、さらには、これまでも具体的に同一人性に疑問が生じ不正登録が疑われるときには、法務省等において専門的鑑識を依頼するなどして指紋による同一人性の調査、確認を行う態勢になっていたこともうかがわれるのであって、これらによれば、外国人登録における同一人性を最終的には指紋によって確定する制度が一応機能していたということができる。そして、後述の外登法の改正により、現在では、市区町村の窓口等において、通常個々の指紋について従前の指紋との照合が行われることはなくなったのであるが、このように窓口段階の照合が行われなくなっても、在留外国人の同一人性を最終的には指紋によって確定する態勢を整えておくことによって、不法入国や不法残留の摘発ないし防止に役立つと考えられることは後記のとおりである。
さらに、<3>については、たしかに、指紋押なつ制度施行後において、登録指紋の照合によってどの程度不法入国等の不正行為の摘発がなされたかについては、統計上明らかになっていない。ところで、指紋押なつ制度は、外国人登録令には設けられておらず、外国人登録法によって設けられ、昭和三〇年四月二七日施行されたものであるところ、法務省入国管理局長作成の「外国人登録法上の指紋押なつ制度について」と題する書面(写)によれば、外国人登録事務の主管官庁である法務省の入国管理局長は、「外国人登録令のもとでは、登録にあたっての人物の特定や、登録証明書切替等にあたっての同一人性確認の手段を写真等にのみ依存していた結果、二重登録等の不正登録が続出し、多数の不正登録証明書が流通し、登録証明書切替えの都度、登録人口が減少する等の事態が招来することとなったため、このような不正登録等を防止し、多数の在留外国人に対するより公正な管理を実現するため、外国人登録法制定にあたり、指紋制度を導入することとした。」「その後、この制度によって多数の二重登録等の事犯を摘発するなど多大の成果を挙げ、現在では不正登録等はほとんどその例をみることがなくなるに至っており、抑止的効果を含め、指紋制度は正確な登録制度の維持に寄与してきた。」と説明している。そして、右の前段の指紋押なつ制度導入の背景については、外国人登録令のもとで二重登録等の不正登録や他人の登録証明書の不正使用が多発し、登録証明書の一斉切替の都度登録人員の減少をみたことは、他の証拠によっても認められる事実であり、当時の混乱した社会情勢がその重要な原因と考えられるとしても、同一人性の確認の手段を写真等にのみ依存していたこともその一因になっていたことは容易に考え得るところであり、首肯できる説明である。また、後段の実績についても、外登法施行以後不正登録等の事犯が激減したことは客観的事実であるうえ、在留外国人が指紋押なつの際自己の同一人性につき誓約し、採取指紋が市区町村や法務省に保管され、最終的には専門的に同一人性の確認がなされ得ることが、「多大」であるかどうかはともかく、不正登録等の事犯の摘発を容易かつ確実にし、不正登録等をしようとする者をしてこれを断念させるなどして、相当の不正行為の抑止的作用を果たしていることも容易に推認できるところであり、一応是認し得る説明であるから、所論は採用しない。
(3) 次に、所論(前記一1(三)(4))にかんがみ、現在における指紋押なつ制度の必要性について一言すると、国際人権規約の締約・批准等世界的な人権思想の普及に伴い、内外人平等処遇の原則に従い、在留外国人の厳密な同一人性の確認の要請を後退させても、外国人に対する指紋押なつ制度を一部または全部廃止してこれに替わる方法を採用することは、立法政策上十分検討に値することである。ただ、日本が国際化社会になるにつれ、わが国に入国する外国人の数が毎年増加の一途をたどり、在留外国人に対する適正な行政の遂行は、国際関係の円滑化のためにも重要視すべき課題となり、一方、近時不法就労等の目的のため不法に入国しあるいは不法に残留する外国人が多数にのぼっていることは、公知の事実であるから、これらの者がわが国に長期に滞在したいがため、他の在留外国人になりすましたり、他人の登録証明書を不正に入手したりするなどの不正行為に及ぶことは十分考えられ、これら外国人の公正な管理に資するためにも指紋押なつ制度を維持する必要性そのものは減少していないものと認められる。さらに、昭和五五年法律第六四号の外登法の改正により、同法一二条の二が廃止され、再入国許可を受けた外国人は登録証明書を国外に持ち出し得ることになったことに伴い、外国での入れ替わりを防止するためにも指紋は有効な方法と考えられる。
なお、昭和六二年法律第一〇二号により外登法が一部改正され(昭和六三年六月一日施行)、改正後の一四条五項によれば、登録証明書の引替交付、再交付もしくは確認(切替交付)の申請に際し、その者が既に指紋を押なつしている場合には、原則としてさらに指紋を押すことを要しないことになったことが認められるから、右改正後は市区町村の窓口等において通常は新旧指紋の照合により同一人性の確認を行うことはなくなったのであるが、同条の改正でも、登録されている者と当該申請に係る者との同一人性が写真などによっては不明確であり指紋によらなければ確認できないときは、例外として市町村長が指紋押なつを命ずることができることになっており、その指紋と既に確保されている指紋との照合による同一人性の確認の方法が保持されているばかりでなく、一回でも指紋が確保されれば不正行為の抑止的作用を果たしうることも前述のとおりであるから、指紋押なつ制度が無意味になったとはいえず、その必要性が消滅したとはいえない。
(4) さらに、写真をもって指紋に代替させることは困難であり、現在のところ、指紋に代替しうる他の手段が見出せないことは、原判決が正当に説示するとおりである。後述する指紋押なつによる人権侵害の程度からすれば、在留外国人に対し外登法一条の立法目的を重視して指紋押なつ制度を存続させるか、あるいは、内外人平等処遇の原則等を重視して他の方法をもって代替させるかは、国際関係を配慮して立法府において将来その裁量で判断すべき範囲内の問題であると考えられる。
(五) 指紋押なつ制度の相当性
(1) 指紋押なつ制度により実現しようとする公共の利益がかなり高度であることは、既に述べたところから明らかであるので、次に同制度によって制約される個人の自由につき検討する。一般的に指紋押なつを求められる各個人における指紋押なつの有する意味については、前記1(三)(四)で述べたとおりであり、指紋をとられない権利が必ずしもいかなる制約も許されないほど重要な精神的自由権に属するとはいえないのみならず、本件当時の外登法における指紋押なつの方法は、同(五)で認定したとおりであって、三年に一回、犯罪の被疑者について採取される十指指紋と異なり、原則として左手人差し指の指紋のみの押なつを求めるものである。しかも、押なつ義務については、刑罰による間接強制があるだけで、直接強制は許されていない。そして、指紋押なつを要求された在留外国人が前記のように幾分かの不快感や抵抗感を感じることがあったとしても、押なつが前記のとおり正当な行政目的を達成するために必要な手段であり、別段外国人を犯罪者扱いするものではなく、現実にも指紋が一般の犯罪捜査に使われるものでないことを理解すれば、その感じる不快感等は相当程度減じるものと考えられ、外国人として受忍限度内のものと解せられる。諸外国の立法例をみても、相当数の国で在留外国人から指紋を徴している(もっとも、その多くは、指紋を自国民からも採取していたり、国籍につき出生地主義をとっているなど法制度を異にするが、被告人のようなその国で出生していない外国人から指紋を徴している点に変りはない。)。そうすると、外登法の指紋押なつ制度は、その手段方法において、同法の立法目的を達成するため相当性の範囲内にあるものということができる。
(2) 所論は、とりわけ在日韓国・朝鮮人に対しては、指紋押なつによりアイデンティティの形成障害、アイデンティティの拡散症候群その他の重い精神障害が惹起されると主張する。
たしかに、日本に定住している韓国・朝鮮人、とりわけわが国で出生し生活している二世、三世の世代の中には、日本国籍を有する者と同様に生育しながら、一四歳(現行法では一六歳)になって指紋押なつを義務付けられることにより、日本国民とは異なる義務を負わされることによる負担感や不条理感を抱く者が存在するであろうことは十分考え得るところである。そして、この間の経過については、原審証人金恵美子及び当審証人申英子が自己の体験として証言し、証人梶原達観がそれぞれについて社会心理学的に説明しており、さらに多くの在日韓国・朝鮮人作成の「私のおいたち」と題する文章も提出されている。しかし、これらの証拠を総合してみても、在日韓国・朝鮮人の若い世代の者の多くが、幼いうちは自己の国籍について深く考えることなく成長しながら、次第に自己が他の国に在留する外国人であることを自覚するようになり、その基底集団が少数者であることや文化の違い、さらには、日本人の一部に依然として残っている韓国・朝鮮人に対する正当な理由のない社会的・心理的偏見があることなどを感じて、自己の民族に対するマイナス・イメージや自分自身に対する劣等感を抱いて悩み、いわゆるアイデンティティ(自我同一性)の形成に障害を引き起こしかねない状態に陥っていることはうかがわれるものの、これらの者のうち成長期に体験した指紋押なつそのものについて強烈な体験として記憶している者が比較的少なく、指紋押なつ体験の前後に特段自己の民族に対する感じ方やその他の心の持ち方が変ったことをうかがわせる者もあまりいないことからすると、アイデンティティの形成に障害を及ぼす要因として指紋押なつの有する意味は、所論がいうほど大きいものとはいえず、いわんや同化にとどめを刺すほどの重要な意味があるとはとうてい考えられない。もっとも、第一回の指紋押なつ体験についての記憶が残っていないという当審証人申英子に関し、当審証人梶原達観は、それは同女が当時しっかりしたバックグラウンド(自我の力)を持っておらず、受けた大きいショックを抑圧したと考えられるかのように証言するが、所論がいうほど指紋押なつ体験の衝撃が大きければ、たとえ当時自我が十分成長していなかったとしても、これを忘れ去ることはないと考えられるから、同証人の説明は納得できない。右の若い世代のうち指紋押なつ体験を不快なものとして記憶している者は、指紋押なつそのものよりも、何ら説明のないまま指紋をとられたとか、手指をつかまれて指紋を押されたとか、写真を撮られたとかの指紋押なつの周辺の状況を覚えているのであり、これらは、特に初めて年少者に指紋を求める際の担当者の不適切な対応によるところが多く(所論がいう準備手続の不足)、事前に指紋押なつの有する意味について十分な説明を受け、正当な行政目的のためすべての在留外国人が負う義務であって、別段韓国・朝鮮人が犯罪人扱いされているわけでなく、自己の民族が劣った民族であるから課せられるのでないことを理解してさえおれば、同人らの記憶中に残る不快感等もより小さかったということができる。以上によると、指紋押なつ体験がアイデンティティの形成障害その他重い精神障害を引き起こす有力な一因になるほど、在日韓国・朝鮮人に強力な影響を与えているとは認めがたいといわなければならない。(以上述べたことは、特に若い世代の在日韓国・朝鮮人が成長期に感じているであろう数々の心の悩みを否定するものでないことはもちろん、その要因として、所論がいう日本政府の同化支配政策による同化のインパクトが影響しているか否かを判断しているものでもなく、あくまでも指紋押なつのこれらの者の心身に与える影響の点にしぼって判断したものである。)
(六) 国際人権規約B規約七条
同規約七条は、「何人も、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けない。」と定めているところ、所論は、特に在日韓国・朝鮮人に対し指紋押なつを義務付けることが、右にいう「品位を傷つける取扱い」にあたるというのである。ところで、右の「品位を傷つける取扱い」は、一般的には「人間としての誇り(プライド)を傷つける屈辱的な取扱い」を意味すると解されているようであるが、これが拷問等と並べて規定されていること、同条の後段に「特に、何人も、その自由な同意なしに医学的又は科学的実験を受けない。」と規定されていること、並びに既に述べた指紋押なつ制度の目的の正当性及び手段の相当性などによれば、同制度が同規約で禁止する品位を傷つける取扱いにあたるといえないことは明らかである。
(七) まとめ
以上によれば、指紋押なつ制度は、正当な行政目的を達成するための必要かつ合理的な制度であり、その規制の内容も目的のため相当性の範囲内にあると認められるから、これを定めた外登法一八条一項八号、一四条一項の各規定は、憲法一三条、国際人権規約B規約七条に違反しない。
3 憲法一四条、国際人権規約B規約二六条違反の主張について
(一) 憲法一四条は、国民に対し法の下の平等を保障している規定であるところ、その趣旨は、特段の事情が認められない限り、外国人に対しても類推されるものと解すべきである(最高裁判所昭和三九年一一月一八日大法廷判決・刑集一八巻九号五七九頁)。しかし、各人には種々の事実的差異が存するから、法規の制定又はその適用において右の事実的差異から生ずる不均等が生じても、それが一般社会観念上合理的な根拠に基づく場合には、憲法一四条の法の下の平等に反するとはいえない(右最高裁判所判決ほか)。また、国際人権規約B規約二六条の趣旨も同様に解される。
(二) ところで、本邦に在留する外国人については、日本国民に対するのと異なり、外登法により指紋押なつ制度を採用しているのであるが、前記2で説示したところから明らかなように、同法は、現在の国際関係の中での主権国家である日本における外国人と日本人との地位の相違という合理的根拠に基づくものであり(外登法そのものが憲法一四条に違反しないことについては、最高裁判所昭和三四年七月二四日第二小法廷判決・刑集一三巻八号一二一二頁)、指紋押なつ制度を設けている趣旨は、右の地位の相違に基づき、在留外国人の居住関係や身分関係を正確に把握し、その個別的同一性を確認するという同法の正当な行政目的を達成するため必要な措置として設けられているのであって、それにより日本人と外国人との間に生じている異なる取り扱いは、右目的達成のためやむをえないもので、合理的根拠があるものと認められる。いかに国際化社会になろうとも、現在の世界が多数の主権国家から成立していることは、否定できない事実であり、国籍によってわが国に結びつけられていない、その意味でわが国の構成要素でない外国人は、日本国民とは国家に対する立場が異なることは明らかであって、正当な行政目的が存する限り、その立法が日本国民に対するより制限的になるのもやむを得ない。
(三) 所論は、とりわけ定住外国人の場合には、個人の特定、同一人性の確認のため、日本人の場合と異なり指紋制度を用いる必要性は乏しく、日本国民と同じように権利を保障すべきであるから、指紋押なつ制度の不合理性は顕著であり、憲法一四条等に違反する、と主張する。なるほど、第二次世界大戦前から日本国内に居住しあるいはその後わが国で出生し今日に至るまで居住を続けている韓国・朝鮮人は、土地に深く密着し、お互いの人的関係や係累もかなりあり、日本人と同程度に居住関係や身分関係が明確である者も多いことがうかがわれる。しかし、そのような韓国・朝鮮人であっても、わが国との関係が日本国民の場合と基本的に異なることは前記のとおりであるばかりでなく、少なくとも日本人と同じようにお互いの人的関係等が密接でなく居住関係や身分関係が明確でない者も相当数存在するとみられるところ、これをも含めてどのような基準で定住外国人を定め、指紋押なつ義務がないとするかはにわかに確定できない問題であり、これら定住外国人であっても戸籍制度等により個人の身分関係や居住関係を把握する方法がとられていない以上、正当な行政目的を達成するという観点から、定住外国人を含めた身分関係等を把握する制度を別に定めることが必要であることは論をまたないところであって、そのうえで、その制度をいかにするかは、立法政策上十分考慮に値する問題とはいえるものの、現行法の解釈としては定住外国人のみを別異に取り扱うのが相当であるとは解されず、右主張も採用することができない。
なお、仮に、定住外国人に対する指紋押なつ制度が、憲法一四条に反するほど不合理であるとしても、その場合は外登法の該当条文が全部無効になるわけではなく、定住外国人に適用される限度において違憲無効となるにすぎないと解されるから、記録上定住外国人でないことが明らかな被告人については、同条違反の問題が生じる余地はない。
(四) 以上によれば、在留外国人のみにつき指紋押なつ制度を設けている不均等は、一般社会観念上合理的根拠に基づいているものと認められるから、憲法一四条、国際人権規約B規約二六条に違反するとはいえない。
4 憲法一九条違反の主張について
憲法一九条で絶対的にその自由が保障されている思想・良心とは、人間の内心におけるものの見方・考え方(主義、信条、世界感など)をいうのであるが、原審及び当審で取り調べられた各証拠によるも、外登法に定められた指紋押なつ制度が、右のような意味の在留外国人の思想・良心の自由を侵害する意図で制定され、あるいは、現実に思想・良心の自由を害する機能を果たしているとは認められない。所論は、指紋押なつ制度は、とりわけ在日韓国・朝鮮人の民族性や民族としての誇りを抹殺しようとする同化支配政策の一翼を担うものとして存在し機能していると主張するが、その主張の理由がないことは、前記2(三)(2)(3)及び同(五)(2)に述べたところから明らかである。外登法の指紋押なつ制度は、憲法一九条に違反しない。
5 憲法三一条違反の主張について
所論は、韓国・朝鮮人を外国人扱いし、指紋押なつを強制することは、正義に反し憲法三一条に違反すると主張する。憲法三一条のいわゆる適正手続条項における法律には手続法ばかりでなく実体法を含み、それが適正、公正なものであることが要求されていることは、所論が指摘するとおりである。そして、わが国がいわゆる日韓併合以来韓国・朝鮮から奪ったものが測りしれないとの所論も、あえて証拠を指摘するまでもなく歴史上否定できない事実であるから、わが国において韓国・朝鮮(大韓民国、朝鮮民主主義人民共和国)ないし在留韓国・朝鮮人に対する施策の面で立法上あるいは行政上十分の顧慮を払うべきことも当然のことである。しかし、だからといって、日本から独立した韓国・朝鮮の人々で日本に在留する者から、「外国人扱いされない利益を奪う」、すなわち「外国人扱い」し、他の在留外国人と同様の取り扱いをすることが、不適正であり正義に反しているとはにわかに賛しえない議論であり、指紋押なつ制度が韓国・朝鮮人との関係で憲法三一条に違反するとの主張は、採用できない。
6 憲法二〇条違反の主張について
憲法二〇条一項の信教の自由は、人間の内面における精神活動に留まる限り、外部のいかなる権力をもってしても奪うことの許されない性質のものであるが、それが外部に表示される場合は、信教の自由の保障の名のもとにすべての行為が免責されるわけではなく、一般市民法秩序のもとに服するものである。ところで、被告人の捜査段階及び原審公判廷における供述によれば、被告人は、アメリカ合衆国のカリフォルニア州で出生し、ハワイ及びシカゴで学業を修めた日系三世であり、本件当時アメリカ合同教会の宣教師として在日大韓キリスト教会館を中心に布教活動を行っていたものであって、日ごろ在日韓国・朝鮮人に接触しているところから、特に在日外国人の多くを占める韓国・朝鮮人に対する指紋押なつ制度が日本的価値観への同化の圧力として機能しており、不当であるとの意見をもつようになり、その問題性を明らかにしようとして本件所為に出たことが認められ、自己の布教の対象としている人々の利益になると信じたうえでの所為であるとうかがえるが、法に違反することを十分認識しながら、あえて本件指紋押なつ拒否の行為に及んだものであり、憲法二〇条の保障している範囲内の行為とはいえず、所論は採用することができない。
7 まとめ
その他論旨は、憲法八一条違反も主張している(松下)ものの、原判決は憲法判断のあり方の基本を誤っていると述べているだけで、具体的な主張がなされていない。しかし、いずれにしても、原判決は外登法上の指紋押なつ制度の憲法適合性につき十分判断しており、それが正当であることは既述のとおりであるから、右主張も採用しない。
以上によると、外登法一八条一項八号、一四条一項に定めるいわゆる指紋押なつ制度は、所論が掲げる憲法及び国際人権規約B規約に違反するものではないから、原判決が被告人の原判示所為につき右条項を適用したのは正当であって、原判決に所論の法令適用の誤りは認められない。論旨は、理由がない。
第二 控訴趣意中理由不備及び理由齟齬の主張について
一 論旨は要するに、原判決は、「弁護人らの主張に対する判断」の項で指紋押なつ制度の合憲性を肯定する理由として説示するにあたり、以下の点において理由不備及び理由のくい違いの違法がある、というのである。
1 原判決は、指紋押なつ制度が憲法一九条に違反しないと判断する際、「定住している在日韓国・朝鮮人の中には、指紋押なつ体験を含め、我が国での生活体験を通じて強い被差別感に悩み、不幸にして心身を害した事例があることなどが認められる」としながら、「その主な原因はむしろ、在日韓国・朝鮮人に対する理由のない社会的、心理的偏見にあるとみられ」ると認定して日本政府に免罪符を与えているが、右偏見自体日本政府が戦前戦後を通じ一貫して在日韓国・朝鮮人に対しなしてきた同化支配政策に起因するものであるから、原判決が右偏見の由来、偏見と日本政府の政策との関連などにつき触れず、前記のとおり認定したのは、理由に不備がある。(原田第三、一、1)
2 原判決は、同じ憲法一九条の判断の際、「指紋押なつ制度は、右のような体験の一因をなす場合があるとしても、いまだこれがあることによって在日韓国・朝鮮人の心理的な日本社会への同化傾向が決定付けられるほどの作用を及ぼしているとは認めがたい」と判示しているが、憲法一九条により絶対的に保障されるべき思想及び良心の自由の侵害を意味する「同化の苦しみ」のもつ人権侵害の重大性にかんがみれば、指紋押なつ制度が「同化の苦しみ」の一因として機能していると認定し得るならば、それだけで右制度は憲法一九条に違反するというべきであるから、「同化の苦しみ」のもつ重大かつ深刻な人権侵害性の意味等弁護人の主張を判断する前提として当然触れるべき事実につき何ら判示することなく、弁護人の主張を排斥した原判決には理由の不備がある。(原田第三、一、2)
3 原判決は、憲法一九条違反の主張に対する判断においては、前記のとおり「定住している在日韓国・朝鮮人の中には、指紋押なつ体験を含め、我が国での生活体験を通じて強い被差別感に悩み、不幸にして心身を害した事例があることなどが認められる」と判示し、指紋押なつ強制の影響として「心身の障害」を認めながら、憲法一三条違反の主張に対する判断においては、「不快感が最小限にとどまるよう配慮されている」と判示しており、指紋押なつ強制の影響をどちらとみるかは決定的に異なることであるから、原判決には理由のくいちがいがある。(熊野第一、二)
二 しかしながら、右1及び2については、原判決が弁護人の憲法一九条違反の主張に対する判断として説示するところに、所論の理由不備の廉はない。原判決は、日本に同化支配政策があるかどうか、その同化支配政策が在日韓国・朝鮮人にいかなる影響を及ぼしているかについては何ら判断しておらず、また、前記第一、二、2(三)(2)で述べたとおりその必要もないのであり、ただ原判決は、本件指紋押なつ制度の憲法適合性を判断するに必要な限度で、在日韓国・朝鮮人の中にみられる「強い被差別感に悩み、心身を害した事例」において、指紋押なつ制度が及ぼした影響が(仮にあるとしても)大きいものでないことを説示したに過ぎないのであり、そのこと自体原判決の所論指摘の箇所で掲げた証拠あるいは既に第一、二、2(五)(2)で述べたところからも肯認されるところであって、所論の社会的、心理的偏見の由来等についてまで判示する要はない。また、2の、指紋押なつ制度が「同化の苦しみ」の一因として機能しておれば、それだけで憲法一九条に違反するとの主張は、「同化の苦しみ」の内容自体明確でなく、同条にいう思想及び良心の自由を侵害しているか否かが判断されねばならないのであり、原判決は、それについては十分判断しており、その判断が首肯し得るものであることも既に述べたとおりであるので、所論は採用の限りでない。
次に3の理由のくい違いの主張については、原判決が指紋押なつ体験からのみの影響として直ちに「心身の障害」を認めているのでないことは判文上明らかであり、かえって同制度が「心身の障害」に及ぼす影響は、(仮にあるとしても)大きいものでないことを述べていることは前述したとおりであるから、何ら理由のくい違いは認められない。
原判決に所論の理由の不備ないし理由のくい違いは認められず、論旨は理由がない。
第三 控訴趣意中訴訟手続の法令違反の主張について
一 論旨は、原判決には以下の点で訴訟手続の法令違反があり、判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、破棄を免れないというのである。
1 弁護人は、原審における指紋押なつ制度が憲法一九条に違反するとの主張において、「同化の苦しみ」のもつ人権侵害性及びそれが日本政府の同化支配政策によるものであること、同化支配政策の中で指紋押なつ制度が占める位置・果たす役割等を立証するため、二名の鑑定証人と一五名の証人を証拠申請したところ、原審は、指紋の運用実態等に関する二名の証人を採用したほか、「同化」に関しては証人金恵美子と鑑定証人梶原達観の二名を採用し取り調べしたのみで、その余の証人をすべて却下した。しかし、却下された証人は、いずれも弁護人の主張事実の立証に関連性・必要性があって証拠採用の必要性があったものであり、右証人を取り調べておれば、原判決が述べているような、「その(強い被差別感に悩み、不幸にして心身を害した事例の)原因はむしろ、在日韓国・朝鮮人に対する理由のない社会的、心理的偏見にあるとみられ」るとか、「いまだこれ(指紋押なつ制度)があることによって、在日韓国・朝鮮人の心理的な日本社会への同化傾向が決定付けられるほどの作用を及ぼしているとは認めがたい」とかの結論にはならず、指紋押なつ制度の違憲性は明らかとなったから、原審の訴訟手続には判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違反がある。(原田第三、三)
2 原判決は、弁護人の、指紋押なつ強制が憲法一三条に違反するとの法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実の主張のうち、プライバシーの権利に関する主張についてのみ判断を示し、本件において新たに立証された事実に基づく主張、即ち、指紋押なつの強制はプライバシーの権利の侵害にとどまらず、人のアイデンティティ形成の障害をもたらし、憲法一三条前段で規定する「個人の尊厳」を否定し、単に不快感ではなく同一性拡散症候群、離人症、ナルコレプシーなどの精神の障害を引き起こし、同条後段の「生命・自由・幸福追求の権利」を侵害するものであり、右の人権侵害の重大性からすれば、同一人性の確認の程度が絶対的であることが必要であるとして公共の福祉による制約を根拠付けるものではない、との主張に対する判断を遺脱しており、右判断を遺脱しなければ、被告人に対し無罪を言い渡すほかなかったから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続(刑事訴訟法三三五条二項)の法令違反がある。(熊野第一、三1)
3 原判決は、憲法一三条違反の主張に対する判断において、「外国人について個人の識別を誤れば、……場合によっては直ちに国際上の問題をも生じかねず」という、検察官も主張せず、審理の対象にならず、被告人弁護人側に防禦の機会を与えられなかった事実を証拠もなく認定し、これを前提として指紋押なつ制度を合理的であるとしているが、これは当事者主義の訴訟構造に反する違法な訴訟指揮であり、右のテーマについては全く審理は尽くされていないから、原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかな訴訟手続の法令違反(審理不尽)がある。(熊野第一、四)
二 しかしながら、以下の理由により原判決には所論の訴訟手続の法令違反は認められない。
まず右1の主張については、裁判所は、当事者から申請のあった証人をすべて取り調べなければならないわけではなく、各具体的事件に応じ当該事件の裁判に必要な範囲内において裁判所の裁量によりその許否を決定すべきである。そして原審は、本件指紋押なつの憲法適合性の判断をするにあたり、指紋押なつの運用実態等に関する二名の証人を取り調べたほか、特に指紋押なつ制度の相当性に関し、各種の書証のほか、直接指紋押なつを体験したものとして金恵美子、指紋押なつ制度の各個人に与える影響を社会心理学的に分析したものとして梶原達観を取り調べることにより本件の憲法判断ができ、他の証人は右憲法判断をするに不必要で取り調べる必要はないと判断したものと認められ、所論が却下を不当と主張する証人が、指紋押なつ制度の相当性に関する証人で、立証事項が採用された証人と全く同一である者や同じ立証事項を異なる角度から立証しようとする者、あるいは、前記のとおり本件憲法適合性の判断において必ずしも必要でない同化支配政策そのものの存在やその内容について意見を求める者であることからすると、原審がこれらの証人申請を却下したからといって、その許された裁量の範囲を逸脱したものとはいえない。
次に右2の主張については、当該法令が憲法違反であるとの主張は、もともと刑事訴訟法三三五条二項にいう「法律上犯罪の成立を妨げる理由となる事実」の主張には該当しないのみならず、原判決は指紋押なつ制度が憲法一三条に違反するとの主張に対する判断をわざわざ項を設けて示していることは明らかであり、所論の訴訟手続の法令違反はない。なお、所論が指摘する「精神の障害」の点についても、原判決は、憲法一三条違反及び一九条違反の主張に対するそれぞれの判断の項で判断を示していることは明らかである。
さらに3の主張については、所論が指摘する箇所は、原判決が指紋押なつ制度の合理性及び必要性につきその理由の一つとして述べたところであって、それ自体については原審において十分争点となっていたことであり、かつ、必ずしも証拠により認定する必要のない公知の事実であるから(原判決も、「場合によっては……生じかねず」と判示しており、個人の識別を誤ればすぐ国際問題になるとしているわけではない。)、原審の手続に所論の審理不尽はない。
したがって、原審の訴訟手続に所論の違法はなく、論旨は理由がない。
第四 控訴趣意中事実誤認の主張について
一 論旨は、原判決には以下の点で判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるから、破棄されるべきであるというのである。
1 原判決は、指紋押なつ制度の立法目的を正当であるとし、「その立法目的に関する外登法一条の規定や、各条文の内容をみても、指紋押なつを義務付けることにより在留外国人の思想や良心に干渉することや、在日韓国・朝鮮人に同化的帰化を強制することがその立法目的であると解することはできない」と認定しているが、前記法令適用の誤りの主張1(二)で述べたように、立法目的を審査するには、法律の背後に存在する真の狙いを審査しなければならず、指紋押なつ制度の真の狙いは、在日韓国・朝鮮人に対する治安目的及び同人らの民族性を抹殺する同化支配政策を貫徹する点に存するのであるから、原判決には、立法事実を故意に無視するという事実誤認がある。(松下、原田第三、二、3)
2 原判決は、原審で取調べ済みの各証拠によれば「同化の苦しみ」が指紋押なつ制度をはじめとする日本政府の同化支配政策によるものであることが明白であるにもかかわらず、「その主な原因はむしろ、在日韓国・朝鮮人に対する理由のない社会的、心理的偏見にあるとみられ」と誤った認定をしており、仮にそのとおりであるとしても、右偏見自体が同化支配政策により形成・増幅されたものであるのにその事実を認定していないので、いずれにしても原判決には事実誤認がある。(原田第三、二、1)
3 原判決は、指紋押なつ強制の影響を「不快感」に過ぎないとし、「これがあることによって在日韓国・朝鮮人の心理的な日本社会への同化傾向が決定付けられるほどの作用を及ぼしているとは認めがたい」としているが、右は、同化支配政策の中で指紋押なつ制度が占める位置や果たす役割を正しく認定しておらず、指紋押なつは、日本政府の同化支配政策によって作られた事前条件のもとで、在日韓国・朝鮮人児童が一六歳になればすべてがその者の自由意思を越えて強制され、アイデンティティの形成障害、アイデンティティ拡散症候群その他より重い精神障害を惹起し、同化に決定的な影響を与えるものであるから、原判決には事実誤認がある。(原田第三、二、2、熊野第一、五)
4 原判決は、「外国人について個人の識別を誤れば、……場合によっては直ちに国際上の問題をも生じかねず」と認定しているが、そのような事実(証拠)は全くなく、事実誤認である。仮に、右認定が正当と認めうる余地があったとしても、原判決後の昭和六一年九月一九日、外登法改正についての法務・外務・自治・警察の関係四省庁で達した合意によれば、「指紋押なつは特段の必要のある場合を除いて、重ねて求めない」というのであるから、「現に在留する外国人個人と登録された人物とが同じであるか否かの同一性の確認」に指紋を必要としないこと、換言すれば、「外国人について個人識別を誤」っても「直ちに国際上の問題を生じかねない」というようなことはないことを行政当局自体が証明していることになり、原判決の認定が事実誤認であることが明らかとなった。(熊野第一、六)
二 そこで検討するに、所論が原判決に事実誤認があると指摘しているのは、指紋押なつ制度を定めた外登法の憲法適合性を判断する前提となる立法事実の認定について誤認があるとしているものであることは、その主張に照らし明らかであるところ、これは厳格な証明を要する実体形成の対象となる事実ではないから、刑事訴訟法三八二条の事実の誤認を主張するものではなく、法律の規定の違憲性をいう法令適用の誤りの主張に帰するものである。
のみならず、右1の点につき原判決の認定に誤りがないことは、前記第一、二2(三)で説示したとおりであり、右2及び3につき誤りがないことは、第一、二、2(五)、第二、二などで述べたところから明らかである。また、右4の主張が採り得ないことは、第一、二、2(四)(3)及び第三、二で述べたところから明らかである。論旨は理由がない。
第五 結論
以上のとおり、論旨はいずれも理由がないから、刑事訴訟法三九六条により本件控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の一部負担につき同法一八一条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 大西一夫 裁判官 岡次郎 裁判官 清田賢)